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岡田真澄さん

先日パリで岡田真澄さんの訃報を聞いた。一度だけお仕事をした事があり、とても残念でならなかった。

今から5年位前、NHKハイビジョンスペシャルか何かで、パリのNHK子会社を通じてお話がきた。その時知り合った一人が、先日お邪魔したカサブランカに住む人なんで、その仕事がなかったら、カザには行っていなかったかもしれないなー…。で、仕事当日、空港で合流して、パリからトゥールーズに飛び、そこからロートレックが育ったボスク城に行きロケを始めた。演出も色々と提案していき、カット数(テレビじゃそういわないのかな?)が多いのに、巻きで終わってしまった。夜ご飯で皆がやっと交流できる雰囲気になった。その時のスタッフは、皆が感じがよく、日仏人関係なくいい輪ができて、それも、彼の気遣いがあったからこそだと思った。岡田さんを囲んでお話が盛り上がっていた時、お嬢さんの写真を見せてくれた。まだ3歳だった彼女は、パパ大好きっ子な様子が伝わったと同時に、岡田さんも溺愛していた。“娘が20歳になるまで死なないよ!”と言った言葉が今でも印象的で、その時は“じゃあ、余裕ですねー”なんて言ってたので、70歳の死は無念でならない。
翌日は、アルビに移動し、ロートレック美術館と街で撮影。それも終え、パリの空港では、なんとあの長ーいリムジンがお迎えに来ていた。AF航空のファーストを利用すると、この送迎のおまけがついてくるらしく、私達も図々しく作業着の様な姿でおじゃました。ちょうどその頃、自宅の引っ越し真最中で、ダンボールも広げていない状態を知っていた岡田さんは、翌日朝食も家で満足に食べられない私を気遣って、彼らの泊まっているホテルの朝食に招待してくれた。
その翌日も、またパリ郊外の小さなお城で撮影を終え、最終日もロケバスに乗り込んだ。初めて会うロケバス(ドライバー)さんにも気を使い、ずっと仏語で話し掛けていた。色々なスタッフが出入りする、テレビにしては大掛かりな仕事だったけど、中心人物の彼は裏でも中心になり、皆に気を使い場を盛り上げてくれていた。さっき、ニュースで奥さまのコメントを読んだけど、「誰に対しても、どこに行っても同じ人だったということを知りました。」と話されてたが、本当にその通りだと思う。こんな事を言っては失礼だが、一般的にある程度のタレントは、下の人間に挨拶もしないし、取り巻きの人間もそうさせない。売れる前は、恥ずかしくなるような程勢いよく、挨拶をするのに、いつの間にか変わっていってしまう。その数ヵ月後、ちょっとした日本のテレビのお手伝いをしたけれど、某人気女優、なんだか雰囲気悪いし、演技も?だしで、ここでは、あなたの事誰も知りませんから!って思ってしまった。なんか普通の人っぽくて仕方なかった。と、こんな話をすると、彼氏に“彼女(女優)のおかげで、お給料もらっているのだから、偉そうにするな”と言われてしまう。おっしゃる通りだが、たった1日、専属でもないので、これ位はいいという事で。
話がそれたけど、短い日程ながら、彼の演技に対するプロ意識、それ以外の人間性、人生のいいお手本を沢山肌で感じて、大切な時間を過ごす事ができた。ミスなんとかのお仕事の合間をぬって来ていたので、撮影後、ホテルも寄らずに帰国してしまった。

本当に公私共にまだまだという気がするので、本当に惜しい気持ちになった。
改めて、ご冥福をお祈りします。

あ、オマケですが、デンマークのコペンハーゲンの人魚の像は、彼のお母さんのお姉さんがモデルになっているそう。本人が言っていたので本当だと思います。
by maischaud | 2006-06-03 14:12 | お仕事
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